赤平市の地域維持関連の統計指標
赤平市は、1960年の人口ピークから8千人台へと激減。高齢化率47.9%、財政力指数0.18と町を支える基盤は脆弱です。若年女性の減少率予測が74.9%の消滅可能性自治体であり、炭鉱閉山後の衰退が数値に色濃く反映されています。
| 項目 | 数値・詳細 / 出典 |
|---|---|
| 自治体名 | 北海道赤平市 |
| 財政力指数 |
0.18(2021~2023年平均)
統計値は(※1)を参照
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| 人口推移 |
ピーク:59,430人(1960年)
→ 最新:8,464人(2025年) 最新の統計値は(※2)を参照
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| 年齢3区分別構成比 |
15歳未満:6.05%
15~64歳:46.12% 65歳以上(高齢化率):47.83% 統計値は(※2)から算出
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| 持続可能性区分 |
消滅可能性自治体
2050年 若年女性減少率:74.9% 統計値は(※3)を参照
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※1
総務省:令和6年度地方公共団体の主要財政指標一覧 -
※2
総務省:住民基本台帳に基づく人口、人口動態及び世帯数(令和7年1月1日現在) -
※3
人口戦略会議:令和6年地方自治体『持続可能性』分析レポート
産業遺産と生活インフラの維持管理の限界|地形・歴史
北海道赤平市は、空知川の浸食によって形成された川沿いの限られた平坦地に、市街地が細長く広がっている町です。利用できる平地が限られていたため、炭鉱最盛期には急斜面にまで住宅が密集して建てられていました。この地形は、炭鉱都市として人や施設を集約できる好条件の環境でしたが、産業構造の転換後は、生活圏の広がりを妨げる要因となっています。
昭和30年代の炭鉱最盛期に約6万人いた人口は、相次ぐ閉山と産業縮小を経て、現在では約7分の1まで減少しました。細長く分散した生活インフラは、人口密度の低下とともに非効率さが際立っており、水道や道路の維持コストは市財政の重い負担となっています。巨大な立坑櫓やズリ山は、今なお往時の繁栄を物語る象徴ですが、産業遺産の保存と生活インフラの維持のいずれも財源が限られ、市はその両立に難しさを抱えています。
炭鉱時代から育んだ、ものづくりへの熱意|特産物・名所
赤平の特産は、炭鉱労働者の英気を養った食文化や、閉山後の産業転換により磨かれた高度な製造技術が源泉です。形を変えながら受け継がれてきた、この街のたくましい歩みを物語ります。
赤平市の主要地区・集落の人口動態
| 地区・集落名 | 10年前人口(2015年) | 直近人口(2025年) | 増減率 |
|---|---|---|---|
| 文京町 | 1,124人 | 985人 | ▲12.4% |
| 大町 | 1,120人 | 908人 | ▲18.9% |
| 赤平 | 1,018人 | 822人 | ▲19.3% |
| 茂尻元町 | 943人 | 765人 | ▲18.9% |
| 東町 | 892人 | 680人 | ▲23.8% |
| 百戸町 | 754人 | 615人 | ▲18.4% |
| 本町 | 645人 | 512人 | ▲20.6% |
| 宮下町 | 498人 | 401人 | ▲19.5% |
| 幌東町 | 325人 | 245人 | ▲24.6% |
| 平岸 | 284人 | 210人 | ▲26.1% |
出典:赤平市「住民基本台帳 地区別人口及び世帯数(2015年・2025年 各年12月31日時点)」より算出
厳しい財政状況下での選択と集中|行政・移住
赤平市が採用している地域経営戦略は、ものづくり技術の継承と居住エリアの適正配置です。財政力指数「0.18」という現況下で、特に広大な炭鉱遺産の維持において選択と集中を余儀なくされています。実際、国による重要文化財の指定を財政負担の見地から辞退するなど、歴史的遺産の保護と財政維持の均衡が大きな課題となっています。
一方、移住支援では「あかびら住まいる応援事業」を通じて最大100万円を助成し、若年層の定住を促進しています。また、地熱ヒートポンプを用いた胡蝶蘭栽培や既存の製造業ネットワークを活かした企業誘致など、持続可能な産業への転換を模索しつつ、行政効率向上のため居住圏を主要幹線沿いに集約して「コンパクトなまちづくり」を推進中です。
炭鉱時代の残照から生まれる新機軸|総括
赤平市の歩みは、石炭産業の終焉を経て、産業構造の転換に向き合ってきた都市の姿を示しています。ピーク時の15%を下回るほどの人口減少を経験しながらも、この地は単なる衰退の記録にはとどまりません。炭鉱都市として培われてきた現場を支える気質は、鞄製造、精密部品、木材加工など、現在の赤平のものづくりを語る上でも重要な背景となっています。
炭鉱施設を産業遺産として保存する取り組みは、過去を記念するだけでなく、赤平の成り立ちを次世代へ伝える営みでもあります。そこに、宇宙開発関連分野や精密加工へと続く製造技術、昭和47年から住民主体で続く「火まつり」が重なります。産業の縮小後も、技術と記憶と共同性をどう受け渡すのか。その問いへの手がかりを、赤平市は今も静かに示しています。


